蕎麦は、日本人なら知らない人は居ないほど、生活に密着した伝統食品ですが、そんなに慣れ親しまれている蕎麦ですが、その本当の実力が正しく理解されているか?と考えると、とても理解などと云うものからは程遠い状態であると、思うようになりました。 と云うのも、私も以前は蕎麦通を自任していた者の一人であり、何処の蕎麦がどうのこうのと食べ歩いたものでしたが、実際に自分で蕎麦を打つようになり、多少はソバ(植物としてのソバを言う時はカタカナで書く事が多いようです)や材料、料理としての蕎麦を勉強してみると、今迄の自分が如何に無知であったかを思い知らされたからです。 そんな思いを持ち乍、昔良く食べに行ったお気に入りの店を順に巡って見たのですが、何と殆どの店が「???」の味だったからです。ハッキリ言って蕎麦の味がしなかったのです。こんなものなら、緑の狸の方がずーっと旨い。殆どの店と言いましたが、全部では無かったと云う事で、少し安心した記憶が今も鮮明に残っています。
自称「蕎麦喰い」民族の日本人にしてからがこの体たらくでは、世界の他の蕎麦喰いはどうであろうか?と心配になりました。北米人の大部分は蕎麦とはあまり馴染みのない人々ですから問うだけ無駄ですが、白地であるという事は変な先入観に捉われずに、有りのままを受け取る事が出来るという事ですから、楽しみな展開になる可能性は十分にあると思っています。
蕎麦に限らず、何時でも何処でもあると思っていると、つい無駄にしたり、いい加減に扱ったり考えたりするものであり、そう言う思考態度が現代の諸問題を作っているのだとの思いに至りました。少なくも蕎麦屋をやっている私は、蕎麦が如何に素晴らしいものであるかを、皆様に分かって貰うべく微力でも尽力する義務があると思っております。